送り手側と受け手側のズレ
最近出した映画関係者の本。ネットその他宣伝に力を入れているのだけど売り上げが伸びない。少し読んでみたけど、面白いと思うのだけど。読みやすいし。
逆に自費出版本で、社内で「これは売れない」とほとんど宣伝も配本もしなかった本に「感動しました。書評に取り上げます」と連絡がくることもある。もちろん売れると思って出した本が順調に売れたり賞をとったりもするけど、意外な結果になることがある。
送り手側と受け手側の意識のズレなのかな。いいものだと思っていても、受け手側の求めるものと違えば売れない。
私もたまに執筆してるけど、力を入れて書いた自信作より、思いつくままにサラっと書き上げた作品が採用されることも。完成したからついでに送ろうと思って同封しただけなのに。
自信作が本に採用されて喜んでいたら、選者の先生が私が意図したのと少し違う受け止め方をしていたなんてこともあった。
表現はひとつであっても、受け手によって観かたは変わるし、対象者を特定して発信しても、送り手によって表現の仕方も変わる。
学生の頃編集の授業で、商品の企画書を渡されて、例えば「30代のOL」や「小学生の男の子」を対象に宣伝文を書くという課題があったけれど、商品も対象者も同じなのに、書く人によって全く違う表現になると先生が言ってましたね。
うちの雑誌で毎月読者投稿作品を募集しているけど、入選の常連だった人が、選者の先生が代わった途端に選ばれなくなる。そのことで電話で問い合わせされたこともあるけど、技術的なことは別としても作品の好みで評価が変わることもある。それは本でも演劇でも映画でもあること。
表現することは楽しく難しいもの。批判より賞賛の言葉をもらった方がいいのはほとんどの人がそうかもしれないけれど、だからといって理解してくれない人を切り捨てるのは違うのではないかと思う。
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